東京女子フォトレッスンサロン『ラ・フォト自由が丘』の"恋するカメラ" 自由が丘女子フォトレッスンサロン『ラ・フォト』主宰、さいとうおりのブログ。sony α7RII + Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA

映画を観ると35mmで撮りたくなる。でもって『この世界の片隅に』のクレジットに広江礼威の名前を見つけた自分を褒めてやりたい。

「私がこの世で我慢ならんものが二つある。一つは冷えたブリヌイ、そして間抜けなKGB崩れのクソ野郎だ」

てな台詞をバラライカ姐さんに言わせる広江礼威さんですよ!小山茉美に言わせたのは『この世界の片隅に』の監督である片渕須直だったりするのでクラウドファウンディングに広江さんが名前を連ねていらしても何の不思議もないわけですが。

それはさておき。

『この世界の片隅に』は、透明な硝子を丁寧に重ねて作り上げたような空気感でもって、「人」ではなく「人と人が生きる世界」が描かれた映画でございましてん。

しかも失礼ながらわたくし事前に「寝るカモ!」と家人に宣言してたほど、日常の淡々とした出来事の描写がただただ繰り返されるのですが。

その日常が「ふふふふ」と微笑んでしまう面白さ。

とはいえ、あの「昭和20年」に向かって描かれる広島が舞台。

当たり前のことだが、水は井戸から汲み上げ石段を上りながら担ぎあげる日々で、食事の度にかまどに火をいれごはんを作る。水が凍るほど寒くても食器を洗う水も、着物を洗う水も洗濯板で絞るのは人間の腕。

そして、劇中の時が流れれば流れるほど、食材は乏しく粗末になり道ばたの雑草をどうにかして食べられないかと工夫し、着物はバラしてモンペに作り替え、海をスケッチしていれば憲兵から「お前は間諜か!」と殴られるような、文字で並べると不便で息苦しい世の中のはずなのに。

なのに、どこまでも呉の海も空も陸も、自然は美しく。

貧しいながらも、暮らす人はごくごく普通に生活していて。当時の映画で描かれがちな杓子定規な嫁いびりも鬱屈された一般人の暴力もなく。何か小さな滑稽な出来事が起こる度に、主人公だけでなく、姑も夫も「ありゃー」と小さく叫んで笑う日々。

そこの描かれているのは、空襲警報や井戸やかまどさえなければ、今の我々となんら変わらない。

だからこそ主人公は「悲劇のヒロイン」でも「特別の人」でもなく、「隣のすずちゃん」「町内のすずちゃん」として、見る側の心に自然に入り込んでくる。

すずちゃんの生活と結婚の上に戦争がやってきて、その時代を経た21世紀の日本に自分はいることを、我々は思い知らされるのだ。

『BLACK LAGOON』において「ロアナプラ」という架空都市の「絶望的な暴力」と「欲望」を手がけた監督が、『この世界の片隅に』においては「広島」というリアルな都市の「どこまでも普通、そして戦争」を描くことは、意外なように思えたけれど。

現実で実際に起きた、あるいは起きうる出来事を「ドラマティックな悲劇」とか「きれいごと」で演出することをせず、何かメッセージを押し付けることもないあたりが息苦しさを感じない、という意味で共通項なのかもしれない…ごめん眠くなってきた。

しかし東北弁といい広島弁といい、訛らせたらハンパないかわいさだな「のん」。


という映画を観ながら、この画角に人と風景を描くならば、35mmかあ…などと思いめぐらせていたりしました。
江戸とうきょうたてもの園から一枚。このへんは実は横位置も何毎かある。
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風景35mmランドスケープ一本勝負でいってみようかしらとか、2月の屋外実習は三崎いっちゃうよー!とか思ってみた年末。
模様替え…というか本の処分は続きますよ。

■今日の機材
ボディ:sony α7R II

持ってて楽しかったけど、建物は90mmのが楽かもしれん…と思った。
あと風景になるとsony α7R IIは強い。

by ori_tarte | 2016-12-31 06:24 | 風景写真 | Comments(0)